斑尾高原・シラネアオイの小径実現への奮戦記
遊歩会会長 山田輝男 記
★序章
アジア大陸の東に美しい弧を描いて伸びている日本列島、その姿はあたかも太平洋に面してアジア大陸のふちを
飾る、花飾りのように見える。
アジア大陸の原形が形成されたのが今から約10億年前(地球が出来たのが45億年前)日本列島の始まりは海であった。
4億年前の日本列島はアジア大陸に広がる浅い海底にあった。サンゴ礁におおわれ海底の中に佇んでいた。
この状態が約2億年続いた。
その後長い年月をかけて地球は地殻変動(造山活動ともいう)を行い、今から約100万年前に今の日本列島の原型ができたと推測されております。
現在、緑に包まれた山々と豊かな平野、清らかな水をたっぷり抱えている日本、この美しい日本の自然はその後どのように出来上がっていったのか、そして日本のみに生息しているシラネアオイの花はいつ頃から日本に生息して来たのか。
約100万年前に日本列島の原型が出来上がりましたが、その後も氷河時代や温暖化の時代を何回も繰り返して来ました。
そして今から約1万5000年前までは日本列島は大陸と地続きでした。それが旧石器時代の終わりの頃(縄文時代のはじめ)から地球は再び温暖化の時代に入りました。日本列島を含む大陸の氷河や雪が溶け出しそのために海水が100m上昇し、日本と大陸の間の低いところに流れ込み、それが今の日本海となりました。
この日本海が出来たことによって、日本は水が豊かな国へ変身いたしました。
冬は大陸からの寒気団が日本海を渡り、その日本海上で海からの水蒸気をたっぷり吸い込み日本列島に襲いかかり日本海側の地域に大量の雪を降らせるようになりました。
また冬以外でも日本海に低気圧が北上し大量の雨を降らせるようになりました。
この事によって特に日本海側は水が豊かになり、森が出来、木々が繁り、山の実、山菜、きのこなど森の食料が豊富になり、それに伴い動物、小動物、昆虫、鳥など多くの動物たちも食料が豊かになった森から享受し、生物多様性の地域が出現いたしました。
そのように水が豊かななった日本海側に古代よりシラネアオイが日本海側を中心に生息するようになりました。
★前章
斑尾高原においては信州(長野県)と越後(新潟県)にまたがる箇所に存在し、日本海側の気候を強く受ける地域に
あり、冬には3mから5mの積雪を有します。
山系的には斑尾山(1382m)、袴岳(1135m)、毛無山(1022m)と3つの峰があり、日本海からの寒気団を直接受け、標高が低い割には大量の積雪があります。
斑尾高原は昭和47年(1972年)に藤田観光によりスキー場の開発が行われ、斑尾高原ホテルを中心に、その当時は新しいスタイルの「ペンション」という洋風な宿泊施設が出現しヴィレッジをつくり、当時の若者たちに浸透し斑尾高原は賑わい、人気のスキー場となっていきました。
そんな時代もバブルの崩壊とともに翳りが見え始め、1990年代後半からは厳しい時代を迎えるようになりました。
斑尾高原ではペンションを経営する若いオーナー達との関わりが深く、観光協会を中心に冬季シーズンの落ち込みをカバーするためにグリーン期に、何か新しい商品を作り出そうという機運が高まり、考えた結果「トレッキング事業」を立ち上げようと結論に達しました。
そこで斑尾高原・観光協会の組織の中に2000年に「トレッキング委員会」を立ち上げ、メンバーを募集し、コースの選定からコース造り、道標造り、マップ作成とトレッキング委員会のメンバーによるボランテイアでの取り組みが始まりました。
その当時は中高年を中心に日本中で登山、トレッキングが盛んになって来た時代で、北アルプスや中央アルプス、
南アルプスなどの3000m級の山々のピークハントや深田久弥著「日本百名山」の登山が人気化しておりました。
またトレッキングにいたしましても、ロープウェイやゴンドラリフト、バスを使って標高の高いところへ一気に行って、高山植物や山岳風景をのんびり歩きながら楽しむトレッキングも盛んでした。
白馬八方池や栂池自然園、千畳敷カール、乗鞍岳、上高地、立山などが人気でした。
そういう時期に斑尾高原のトレッキングコースを開発し、オープンしたことは今から思えばタイミングが良かったと言えます。
また同時期(2003年)に「信越トレイルクラブ」も設立され、2005年にロングトレイルの「信越トレイル」が斑尾山より牧峠まで50kmが供用開始となった事が斑尾高原のトレッキング事業にも大きく寄与しました。
斑尾高原ではその後トレッキングの普及を図るためトレッキングガイドを要請して「斑尾高原ガイド付きトレッキング」を推奨し、地域でのトレッキングの質的向上を図るために「ガイド部」を設け、外部から講師を呼び、ガイドに必要なスキルの習得や救急救命法の講習会にも参加し、ガイドとしてのスキルを上げていきました。
★本章
斑尾高原トレッキングは少しづつ人気化していきましたが、トレイル的にはまだ魅力に欠ける部分がありました。
斑尾高原内におきましては春の季節の「沼ノ原湿原」の水芭蕉やリュウキンカはこの季節は賑わいを見せますが、その他のトレイルはまだ魅力に乏しく、沼ノ原湿原への単なるアプローチトレイルという感が強かったのです。
斑尾高原トレイルの一層の魅力を高める事についてトレッキング委員会のメンバーの有志で考えた事は、山野草の充実でした。
斑尾高原は気候風土や標高など山野草に適した特製を持っており、多くの山野草が季節を彩ります。
その中でもシラネアオイは大輪で見栄えが素晴らしく、また種からの生育も可能なことからシラネアオイに着眼いたしました。
シラネアオイはもともと斑尾高原に多く生息しておりましたが、観光開発や地球の温暖化、また盗掘等によりその数が激減いたしておりました
そのため一部有志の間でもこれを復活出来ないものかと考え、種からの芽出しにチャレンジしておりました。
当時はまだ山野草に対する生育方法や芽出しの方法などの情報に乏しくいろいろ失敗を繰り返しながら試行錯誤して、ようやく2006年の春に芽出しに成功いたしました。
2007年に斑尾高原観光協会の公認ガイドとして「ガイド委員会」が発足しておりましたが、斑尾高原のトレッキング事業のより一層の活性化を図るべく「斑尾高原・唱歌ふるさと遊歩会」が新たに発足いたしました。
後に「斑尾高原・遊歩会」と改称となりました。
この斑尾高原・遊歩会により「シラネアオイの小径」の創設に2008年より取り組みが始まりました。
シラネアオイの芽出しに成功をした有志の人たちもこの「斑尾高原・遊歩会」のメンバーに加わり、2008年の春に初めて2年ものの苗を八坊塚トレイルに植栽いたしました。
その後は毎年、3年ものの苗を約100株程を植栽地を整備しながら植栽を続けてまいりました。
しかし植栽を続けてゆく中でも盗掘は後を絶ちませんでした。
それでもめげずに植栽を続けてまいりました。
2015年ごろには花を付けるシラネアオイも多くなり、秋には多くの種も取れるようになりました。
その頃になりますと芽出しの方法も要領が良くなり、発泡スチロールの箱に芽出しの培養土を10cmほど入れ、種をその上に蒔き、種が見えなくなるほどに培養土をかけて、しっかり水をやり一冬雪の下に寝かせておくと春に双葉の芽が出て来ます。ほぼ95%の芽出しとなります。
(その際発泡スチロールの底に水抜きの穴を開けておく事が絶対必要です。それをしないと根腐れの原因ともなります。)
2016年頃には約200株のシラネアオイの3年ものの苗の植栽が可能となりました。八坊塚トレイルを中心に植栽を行っておりました。
シラネアオイは種から花が咲くまでには自然界では6年から7年かかると言われております。
その時期、有志の庭にあるシラネアオイの親株になっているシラネアオイの苗も提供してもらい、「八坊塚トレイル・シラネアオイの小径」に移植して、見栄えの充実も計ってまいりました
その頃になりますと春の「八坊塚トレイル・シラネアオイの小径」には多くの山野草ファンが訪れるようになって来ておりました。
「八坊塚トレイル・シラネアオイの小径」は山の家から東トレイルの分岐までには約1kmあります。その間シラネアオイは満遍なく要所要所に咲いておりますが、中間地点の一番見栄えのある箇所をみて、写真を撮って帰る方を多く見かけ、とても残念に思っておりました。
(奥の方にも見栄えのあるシラネアオイが咲いているのですが)
そこで遊歩会では、トレッキングを楽しみながらシラネアオイや他の山野草を鑑賞し、半日をのんびり斑尾高原の森の中を散策出来るようなプランを考えました。
2018年春から回遊性のあるプランを実行に移しました。
山の家から「八坊塚トレイル・シラネアオイの小径」を行くと東トレイルにぶつかります。それを左に折れると東トレイルの入り口、プラザ街に出ます。そこから山の家までは約500mの距離で山の家まで戻る事ができます。
山の家スタートで山の家に戻る約2.2kmの回遊性のある「シラネアオイの小径」が実現します。
新たな問題として「八坊塚トレイル・シラネアオイの小径」はすでに多くのシラネアオイの花が咲いており、充分楽しむことはできますが、東トレイルにおいては3年ものの苗を植栽してもすぐ花を見ることは出来ません。少なくとの花が咲くまでは2.3年はかかります。
そこで有志の庭に咲いているシラネアオイの親株を20株ほど集め、東トレイルに移植しました。親株ですので来年の春には花を付けます。
それで2019年春より仮オープンとして「斑尾高原・シラネアオイの小径山野草鑑賞ガイド付きトレッキング」を実施いたしました。
(距離2.2km,半日コース、所要時間2時間から2時間30分)
これをきっかけにして沼ノ原湿原に通じるトレイルを「シラネアオイの小径」と称してエリアの拡大をして計るべき計画を立てました。その為、資金も必要になってくることから2020年度から妙高市の「妙高元気づくり支援補助金」の制度を活用し、補助金の申請を行い、審査に受理されエリアの拡大に取り組みました。3年間の補助をいただき、シラネアオイの小径の充実に充分役立てる事ができました。妙高市に感謝・御礼申し上げます。
シラネアオイの小径は総延長12.2kmとなり沼ノ原湿原のトレイルを含むと約16kmに及ぶ魅力ある花のトレッキングコースが実現することとなります。
主な「シラネアオイの小径」トレイルといたしまして
・八坊塚トレイル
・東トレイル
・ せせらぎトレイル
・ 中央トレイル
・ 西トレイル
・ 希望湖トレイル
シラネアオイの花の他に種から育てた山野草は
・雪割草(ミスミ草)、サンカヨウ、カタクリ、ヤマシャクヤク、ヤマオダマキ、ミヤマオダマキ、マツムシソウ、オキナグサなど
★後章
2023年にはコロナが落ち着き、春には多くの山野草の愛好家の人たちがシラネアオイの小径を楽しんでおられました。
幸いコロナ禍の最中に補助金をいただき、シラネアオイの小径の拡充と植栽が順調に進み、見栄えのあるシラネアオイの小径が実現いたしました。
作業には遊歩会のメンバー約19名が汗水を流し、ボランティアで作業していただいた事に感謝申し上げる次第です。
今後は維持管理に力を注ぎ、多くの山野草の愛好家の人たちに感動を与えられるようなシラネアオイの小径に育てていきたいと思っております。
★あとがき
長文になりましたが、これは”斑尾高原と自然”を愛する仲間と共に歩んだ遊歩会活動の記録と私が文献から学んだ知識を織り交ぜながら執筆いたしました。太古からの贈り物と思える森の佇まいや山野草の小径が次世代にも心温かな場所でありますように願っています。 2024年6月
参考文献 ・日本の誕生:(株)世界文化社
・日本の古代史:(株)宝島社
・古事記と日本書紀神話ゆかりの地:(株)英和出版社
・古代高志の国奴奈川姫: 土屋芳雄 奴奈川姫の郷を作る会
・日本ヒスイの本: 北出幸男 青弓社